第245話 さばのゆの須田さん

  • 2026.03.19
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僕にとっては少し気合いのいることなのだけど、今日は「さばのゆの須田さん」の話をしようと思います。僕の店から自転車で5分くらい、世田谷区の経堂に「さばのゆ」というイベント酒場があります。店主の須田泰成(すだやすなり)さんは放送作家や著述業の傍ら「さばのゆ」を運営し、英国のコメディ集団モンティ・パイソンの研究者でもあるという、マルチに活躍した人でした。“でした”と過去形で書いているのは、今から2年と少し前、2023年の年の瀬に彼は天に召されたからです。それは本当に突然の出来事で、経堂はもちろん日本各地の繋がりある人々が深い悲しみに暮れました。
通夜の日、灯りの消えたさばのゆの看板。つくるとつなげる、というコピーがこの店をよう表している。
その夜に須田さん行きつけのバーを訪れると、彼の著書や尽力したサバ缶と共に、好きだったスコッチが手向けられていた。
以前コラムで「コーヒーテイストの黒ビールを作った」という話題を取り上げました。その時コラボをしたブルワリーさんと出会ったのは、須田さんがさばのゆで開催した交流会でした。須田さんは経堂という街が大好きで、地元の人同士はもちろん地方と経堂をも繋げ、新たな交流のきっかけをたくさん作ってきました。また何かを実現したいと思う人には特に大きな後押しをしていました。コーヒーテイストの黒ビールは、まさしく経堂で起きた化学反応の成果でした。そのことを書いたコラムが公開されたのが12月7日。須田さんの逝去はその約3週間後、12月27日のことでした。
コーヒーテイストの黒ビール。11月に完成し飲んでもらえたのは本当に良かった
一時さばのゆは存続の危機に陥りました。でも奥様の直子さん、通称ナオさんは「須田さんが大切にしてきた場所を守りたい」と思い、後を引き継いだことで今日に至ります。でもそれは相当過酷だったはず。なぜなら二人はその年の3月に入籍したばかりで、ナオさんが須田さんと店を切り盛りする時間は、決して多くはなかったからです。もし僕だったら悲しみに押し潰されてしまうような状況でも、ナオさんは気丈に振る舞い、店の再開に奔走しました。そして今ではナオさんらしさも加えた”新たなさばのゆ”を運営するに至りました。そんな折、ナオさんは常連客の岡部さんにあるお願いをしました。
サバブックスのロゴステッカー。“素晴らしい”を“さばらしい”と言うのは須田さんお得意のダジャレ。
それは「須田さんの本を作ってくれませんか?」ということ。岡部さんは編集者/ライターで、『くらべる東西』『目でみることば』といった著書がある文筆家、そして須田さんの心友です。岡部さんはその願いを引き受けました。書籍は全国の人に読んでもらえるよう自費出版とはせず、さばのゆ内に「サバブックス」というレーベルを立ち上げ、一般書店で扱ってもらえるようにしました。またクラウドファンディングにもチャレンジし、見事に目標達成しました。岡部さんは須田さんと交流のあった多くの人にインタビューを行い、彼の人生や人物像を浮かび上がらせた本を作りました。
完成した本。
本のタイトルは『さばのゆの須田さん』。さばのゆでは毎年3月8日をサバの日と呼んで、様々なイベントを行ってきました。今年はその生みの親である須田さんが主人公となった本の発売日、そして出版記念パーティーが行われました。僕は自分の店の営業日と丸被りで伺えなかったのですが、須田さんを慕う多くの参加者で盛会だったそうです。店には行けなくても本自体は早速ゲットしました。実は僕も岡部さんからインタビューを受けた一人で、本書では最終章に取り上げていただいているのです。
写真は須田さんと多くの仕事を共にした写真家、栗栖誠紀さんの撮影による。
自分ではない他の誰かが書いた文章に「自分の語った話が綴られている」って、なんだか小っ恥ずかしいですね。でもとても光栄だし嬉しいです。そして僕の知らなかった須田さんが、他の人たちによってたくさん語られていて、改めて彼の人間性の豊かさに触れて、もっと知りたくなってしまいました。著者の岡部さんはきっと書ききれなかったことがあると思います。そんな話を聞きたいと思ったのは僕だけじゃない気がするので、いつか岡部さんに「須田さんにまつわるお話し会」をしてもらいたいなと思うのでした。もしよかったら皆さんも読んでみてくださいね♪
この本とオリジナルブレンドをセットにした販売を検討してみようかな。


この記事へのコメント


ぽんで

機会があったら読んでみます。


hirune

鯖缶だいすき!

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