第17話 夕焼け

  • 2016.10.03
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しばらく前の、ある日の夕方のこと。
知り合いの飲食店にコーヒー豆を届けに行った後、次の仕事へと向かうため、僕は青山の裏通りを急ぎ足で歩いていた。
スマートフォンで地下鉄の時刻表を調べつつ、目的地までの最短ルートを行こうとした時だった。

「そこ、とても綺麗よ」

「最短ルート」に突然割り込んできた、見知らぬ女性の声。それが僕に向けられた声なのか確信が持てず、立ち止まるとスマートフォンから視線を上げ、確かめる様にその女性を見た。はっきりときれいな日本語で話しかけてきたその女性は、ブロンドの髪をした白人の女性だった。彼女は僕の視線を受け止めるのと同時に、今度はその視線をいざなうように、どこか遠くの方を見た。僕は促されるまま、彼女がみつめる方へと振り返った。

道のずっと奥に、きれいな夕焼けの空が、少し眩しく輝いていた。

その場所はビルや商店や電柱が乱雑に立ち並ぶT字路だった。そのせいで全体に空が狭いのだが、通りのずっと奥にはそこだけぽっかりと空が広がるように見え、またそれは二人が立つその場所からしか見えなかった。

「うわぁー、ホントだ!」
思わず自然に言葉が溢れてしまった。夕焼けなのに、強く光り輝く眩しさがあった。

「みんな、気付いてるかしらねぇ」
彼女はそうつぶやいた。自分が気付いたその美しい風景を誰かと共有したい、そう思っていたのだろう。
そんな時、偶然通りかかったのが僕だったのだ。
僕は言った。

「急いでいる時ほど、顔を上げなきゃですね。大切な事を忘れていたなー。」


そのあと少しの間言葉を交わしたのだが、何を話したか実はあまり覚えていない。
覚えているのは言葉を交わす間も刻々と変化していった夕暮れの光と、その女性の自信に満ちてとても優しげな眼差しだ。
在る種の人間に共通して見られる、全身から発散される「自信」のようなものを、彼女も湛えていた。
僕は色々な出来事が重なって自信を失いかけていたけれど、いつの間にかそんな彼女に呼応するかように背筋を伸ばし、真っ直ぐに視線を合わせて、会話をしていた。


素敵な風景を教えてくれたことに礼を述べ、僕はまた「最短ルート」を続けた。
でもその後の道のりはそれまでとは違っていた。雑踏に変わりはないが、見るもの全てがとてもクリアで色鮮やかにさえ感じた。その時僕は、少し微笑んでいたかもしれない。
電車は一本乗り遅れ、乗り換えではあろうことか逆方向に乗ってしまった。でも理由は分からないが、なぜか仕事の時間にはちゃんと間に合った…。
一連の出来事は、それ自体特に意味はないのかもしれない。
でももし意味があるとするなら、それは神様でも目に見えない力でも何でもない。
自分が自分を突き動かそうとしている前兆のようなものではないだろうか。自分が出来事に意味を与えることで、自分自身の背中を押してやるきっかけに仕立てているのだ。心の在りようで見える風景は変わっていく。
例えばふと空を見上げた時、雲が空飛ぶクジラに見えたなら、それは「クジラだって空を泳ぎまわる」自由を君は既に手にしているってことを、映し出してくれているのかもしれない。



この記事へのコメント

ほな

これでよいのか、この平和。

ほな

電柱がないとさらによし。

ほな

すみきった空気。

ほな

きれいな夕暮れ。

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