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第43話 What brings you to Japan?

  • 2017.10.30
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黒田 悟志




自分の事を、少しばかり調子に乗り易いタイプだと思っている。 ウケないだろうと思っていたコーヒーの歴史話も、その評判が悪くないと分かるや、またすぐ同じような話を書いたりする。 そう、一度ウケるとしつこいのだ。だからまた書いてしまう。前回は戦争絡みでコーヒーが広く浸透した米国とブラジルの話をした。 今回は前回の話からスピンアウトして、その頃の日本はどうだったのか?という話。
時は大正時代。なんと日本ではコーヒーの大ブームを迎えていた!それは「銀ブラ」。「銀座でブラジルコーヒーを飲む」の略と言われるが、火付け役となったカフェーパウリスタでは最盛期に1日4000杯も売れたそう。今ほど一般的な飲み物ではなく、ましてや地球の反対側であるブラジルからの輸入品では、価格も決して安いモノではなかったはず。そんな海外の飲み物が、なぜ急激に流行り定着したのか??
発端はブラジルと日本の両方にある。
19世紀、ブラジルではコーヒーが巨大な産業に発展した。それを支えた労働力は150万とも200万とも言われる奴隷の存在であった。 しかし1888年に奴隷制度は廃止(米大陸では最後の国)となる。 ブラジルは失われた労働力をイタリアなどの欧州系移民に求めたが、依然として続く奴隷同様の労働環境や待遇に移民達は離れてゆき、欧州各国も移民制限を行った。 そこで代わりの労働力を日本からの移民に頼る事となる。実はこの時、日本も移民を送り出したい状況にあった。

明治になって以降、日本が進めたのは「軍事力と産業の強化」だ。(えっと、明治の話ですよ。)結果、その時代の二つの戦争には勝利したがその代償も大きく、過大な戦費で財政は悪化、人口増による食料難、都市部と農村での貧困格差という問題も起きていた。そこで出稼ぎのための移民として、ハワイや米国本土など各国に多くの日本人が送り込まれた。ところが受け入れた各国では異文化の人間に対する反発が徐々に強まった結果、日本人移民の排斥運動が起こり、日本は移民先を失ってしまった。そんな中、新天地としてブラジルに目を付けたのが水野 龍(みずの りょう)だった。

彼はブラジルへの大規模な移民事業を推し進めた。だが移民はそれまでと変わらず奴隷的な扱いを受け、また移民事業も資金不足に陥る。ブラジルは継続的な日系移民の確保が必要な事から、彼の事業支援とその貢献への見返りとして5年間、毎年1000俵とも1500俵とも言われるコーヒー豆の無償供与をおこなった。これは同時に日本におけるブラジルコーヒーの普及を望むものでもあった。水野はフランスのカフェ文化を参考に、白亜の洋館で、洒落た調度品と正装をした給仕が迎える店「カフェーパウリスタ」を銀座に開業する。そして当時周辺のコーヒーの価格が1杯30銭ほどのところ、1杯5銭(約1/6)の低価格で提供した。現在に換算しておよそ1杯1500円のモノを1杯250円で、しかも日本離れした豪華な空間で提供したのだ。
土地柄、新聞社や外国商館、帝国ホテルなども近く、パウリスタは多くの文化人が集うたまり場として盛況することとなる。文学界では芥川龍之介、与謝野晶子、高村光太郎など、画壇も藤田嗣治、村山槐多などの著名人、また後にはアインシュタイン、果てはジョンレノンとオノヨーコまでが訪れた。「銀ブラ」から始まったカフェのスタイルは、こうして全国へと広まっていったのであった。
極東の地、日本でコーヒーが根付いたきっかけは、当時のブラジルと日本、それぞれが抱える大きな歪みから生じた化学反応に、優れたビジネスセンスが掛け合わさった結果だ。それでもコーヒー消費量が世界第4位と言われるまでに浸透したのは奇跡。コーヒーの神様は面白い事をする。




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黒田 悟志 Satoshi Kuroda

Day Drip Company 代表

スペシャルティコーヒーと呼ばれる良質なコーヒーの世界。その魅力を伝える為に、勤めていた自家焙煎店から独立し、独自のブランド【Day Drip Coffee】を立ち上げました。

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